段々と台風の足音が聞こえてきそうな
ここ、当店のあります覚王山日泰寺参道です。
さて、よくお尋ねのあることで名古屋市千種区にあります
平和公園についてです。
ここは、よく名古屋市の墓地(市営の墓地)と思ってらっしゃる方がいますが。
答えからいえば、 違います。
1946年(昭和21年)6月設置された墓地整理委員会の指導により、中区・東区・熱田区を中心とする市内278寺院の墓地約18ha・18.7万余基の墓を千種区鹿子殿地内約147haへ移転させるもので、1947年(昭和22年)から1957年(昭和32年)にかけて実施された。
市内には尾張藩の菩提寺であった東区の建中寺の歴代藩主の墓や、赤穂浪士・片岡源五右衞門の墓(中区・乾徳寺)など由緒ある墓所が沢山あったが、それらもほとんど全てを移転させる徹底したものだった
上記通り(『ウィキペディア(Wikipedia)』参照) です。
名古屋市内の寺院墓地になります。
各寺院の境内にあった墓地を移転する為に当時は当店をはじめ
名古屋市の石材店が引き受けました。
現在でもその名残が残る場所もあります。
先代や職人さんからも、昔の地形等を知っている人に
通常の基礎ではだめなところとかを聞き、そのように施工しております。
市営の墓地等では基礎工事の基準があります。
その基準・指示にそって施工致しますが、
先輩方の知恵が光る平和公園の墓地は私にとっては何か石屋らしさ
がある墓地だと思います。
公の基準が疑われる今日この頃
ふとそんな事を思いました。
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